第67回メルマガ記事「証拠としての契約書の重要性」2021.8.26

 

 弁護士の内田です。

 

 最近は雨が続いていますね。

 

 久しぶりに「しろくまアイス」を食べました。結論として美味しかったです。

 小豆の量が絶妙で、多すぎると全体的に甘すぎになり、少なすぎるとカキ氷部分の単純な味が続いて最後まで美味しく食べられない・・・本当に「適量」だと感じました。すばらしいバランスです。

 

 最近は、こういった食の驚きに飢えています。回らないお寿司、和牛ステーキ、ハーゲンダッツ・・・・いわゆる高級品といったものが美味しいのは当然で、美味しくても驚きはありません。自分がさして美味しいとは思っていない料理が美味しかったときに驚きがあり、自分の世界が広がり、宝物を発見したような喜びを感じることができます。

 最近では、よく行列が出来ているうどん屋で食べた「うどん」が、このような喜びを与えてくれました。

 

 未知の「良いもの」を知り、世界をもっと広げていきたいものです。

 

 

 さて、本日のテーマは、証拠としての契約書の重要性です。

 

 まず、前提知識として、契約書を含む文書の民事訴訟上のルールについて解説します。

 

 民事訴訟で文書を証拠として提出する場合、「成立の真正」を証明しなければなりません。「成立の真正」とは、文書の記載内容が挙証者の主張する特定人の意思に基づいて作成されたことを言います。

 たとえば、Xさんが「Aさんが作成した文書α」を証拠として裁判所に提出する場合、文書αがAさんの意思に基づいて作成されたものであることを証明しなければならないのです。

 この成立の真正が認められないと形式的証拠力というものが認められず、証拠として認められません。

 ただ、実務上は、相手方がこの成立の真正を争うことは少ないです。

 

 文書は、大きく「処分証書」と「報告文書」に区別されます。

 処分証書とは、これによって立証しようとする意思表示その他の法律行為が記載されている文書を意味します。たとえば、売買契約は対象物と代金を決めて「売ります」「買います」という意思表示の合致させることで成立しますが、売買契約書には正に「○○を○○円で売ります。」「買います。」という記載がなされているわけで、処分証書に当たります。

 報告文書とは、作成者の見聞、判断、感想等が記載されている文書のことです。受領書、領収証、商業帳簿などがこれに当たります。

 

 この区分が大切で、判例上、処分証書がある場合には、前述した形式的証拠力が認められる場合には、特段の事情がない限り、その記載どおりの行為がなされたと認定すべきとされています。

 売買契約書に「XはYに対し、○○を100円で売り渡す。」と記載されており、Yが自らの意思によって作成されたことを認めている場合には(XがYに代金を請求し、証拠として右売買契約書を提出しているという前提です。)、特段の事情が立証されない限り、いくらYが「買っていない」と言い張ったところで、「買った」と認定されるのです。

 契約書をちゃんと交わしておけば、裁判で相手が争ってきたとしても負ける可能性は極めて低いということですね。

 

 では、上記の例で、Yが「この契約書に押されている印影は私が押したのではない。Xが勝手に押したものだ。したがって、この契約書は私の意思によって作成されたものではない。」と主張したとします。この場合はどのように処理されるのでしょうか。

 これについては「二段の推定」という理論があり、本人の印鑑による印影が押されている場合には、その印影は本人の意思によって捺印されたものと推定されます(一段目の推定)。そして、民事訴訟法第228条第4項という規定が「私文書は、本人又は代理人の署名又は押印があるときは、真正に成立したものと推定する。」としているので、この規定にしたがって文書全体が真正に成立したものとして取り扱われます(二段目の推定)。

 そして、前述のとおり、その文書が契約書などの処分証書の場合には、特段の事情がない限り、その記載どおりの事実が認定されます(三段目の推定・・・とは言いませんが、「のようなもの」です。)。

 あくまで「推定」なので、Y側で覆すことはできますが(たとえば、印鑑を盗まれていたことを立証して第三者が捺印した疑いを生じさせるなど)、容易ではありません。

 

 印鑑証明書の提出もある場合には、「自分の印鑑の印影じゃない」などという言い逃れはできませんし、わざわざ印鑑証明書の発行をしているので「印鑑を無くしていた」などの自分の意思に基づかないところで捺印がなされた可能性があるという主張も無理が出てきます。

 

 これらの理論と言いますか、立証のルールがあるので、重要な契約では印鑑証明書の提出まで求められるのです。

 

 

 いかがだったでしょうか。

 

 面倒くさい契約書のやりとりですが、背景にはきちんとした法律的理由があります。

 訳も分からずに面倒なことをやらされるよりも、訳が分かって面倒なことをやらされる方が苦痛は少ないです。

 そういう意味でも、少しは有益な法律知識といえますね。

 

 

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