第114回 実はあまりよく知られていない憲法
弁護士の内田です。
暑くなってきましたね。そろそろ夏の到来を感じます。
夏派・冬派それぞれあろうかと思いますが、私は冬派です。冬は着込めば屋外でも何とかなりますが、夏は屋外が辛すぎます。
一昔前、商売人間では、冬は客足が遠のくので夏の方が歓迎されていたと思いますが、今は暑すぎて客足が遠のく事態になっていますね。ディズニーランドやUSJなどは対策に苦労しているようです。
このまま気温上昇が続くと、人が屋外で楽しめる時間がどんどん少なくなります。一時期は「脱炭素」「EV」などでメディアが盛り上がっていましたが、最近はあまり言わなくなりましたね。
今の子ども世代が大人になって不利益を受ける問題ですので、世界で何とか歩調を合わせて対策を講じてもらいたいところです。
さて、今回のテーマは、「憲法」です。
いつもは実務的な話ばかりですが、今月は憲法記念日もありましたので、教養としての憲法についてお話させていただきます。
皆さんは、憲法に対してどのようなイメージがあるでしょうか。
一番偉い(強い?)法律、人権や三権分立が書かれている、そんなイメージではないでしょうか。
まず、憲法の性質として、最高法規性が挙げられます。正に、一番偉い(強い)法なのです。具体的には、第98条第1項に書かれています。同項では、「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」と規定されています。
つまり、憲法に反することは効力を生じないのです。憲法に反することを違憲と言います。
かつて、どこの局かは忘れましたが、公立学校の先生に国歌斉唱を義務付けている法律が違憲かどうかを議論する番組がありました。その中で、アナウンサーが「法律で決まっているのだから、それを違憲などと言って争うのはいかがなものか。」という趣旨のことを言っていましたが、これは先ほど述べた最高法規性を全く理解していない発言ということになります。
違憲かどうかの判断をする権限を有しているのは、いうまでもなく裁判所です。とはいえ、法律ができる度に裁判所が違憲かどうかをチェックしているわけではありません。
違憲の疑いがある法律が適用されて、適用された人が「この法律はおかしい。違憲で無効だ。」と裁判で争って、初めてそのときに判断を下します。しかも、仮に違憲の判断が下ったとしても、その事案限りで無効になるに過ぎません(勿論、行政の方は違憲の判断が下った法律を適用しないようにしますが。)。
このように、ある法律が憲法違反かどうかを問うのにはかなりリスクと労力が必要です。
続いて「人権」です。ご存知のとおり、人権は憲法において謳われています。
人権という言葉自体はよく聞かれるかと思いますが、それが何かと問われれば中々回答に窮するのではないでしょうか。
法務省のHPなどでは、「すべての人間が、人間の尊厳に基づいて持っている固有の権利」などと表現されていますが、「結局それって何?」と思われるでしょう。憲法には、「思想及び良心の自由」「信教の自由」「表現の自由」「学問の自由」「職業選択の自由」など様々な人権が規定されていますが、これだけを見てもピンと来ないでしょう。なぜなら、私たちの周りには、これらの自由を制約する法で溢れているからです。「それで自由があるとか言われても・・・」ってなります。
人権は、自然権思想という考え方をバックグラウンドにしています。簡単に言ってしまえば、「人間は、生まれながらにして自由かつ平等だ。だから、国家は不当に自由や平等を踏みにじるな。」という考え方です。
まず「私たちは自由だ」から出発しています。自由はある、でも制限される場合もある、という考え方をします。憲法上は、「公共の福祉に反しない限り~自由を有する」などと表現されています。
では、公共の福祉とは何なのでしょうか?
これについては諸説ありますが、通説的な理解は、「人権」です。
「ん?」となるかもしれません。正確には、他者の人権です。つまり、ある人の人権の行使が他者の人権を侵害する場合には制限される場合がありますよ、ということです。人権、人権と言って他者の人権を省みない態度は、憲法的ではないということです。
このような理解を前提とすると、法律は、人権と人権の衝突を調整しているルールだという理解になります。調整の仕方として過度であったり、そもそも調整の必要性がないような場合には違憲と評価されることになります。
ところで、法律は私たちの代表者である国会議員が国会で決めたものです。言い換えれば、国の多数決で決めたルールです。人権は、それでも制限できないのです。「みんなで決めてはいけないこと」これが人権の本質です。
たとえば、日本人口の99.999999%の人が「〇〇党を批判する言動をしてはならない。」という法律に賛成したとしても、違憲になるので効力は生じません。
最後に三権分立です。立法・行政・司法を分けて相互に牽制させるという学校で習ったあれです。人権と別に論じられることが多いですが、これは人権とセットです。つまり、三権を分立することで国家権力の暴走を抑止し、これによって人権を保障するというのが三権分立の本質です。
こうしてみると、憲法は、首尾一貫して、人権保障のための法だということができます。
いかがだったでしょうか。
実は、司法試験以降、憲法について論ずる機会はほぼありません。実務において、憲法で主張を構成することがほとんどないからです。民法、刑法、会社法、労働基準法といった法律や判例に則って主張を構成することがほとんどで、「そもそもこの法律は違憲無効だ」と主張することはほとんどありません。
憲法訴訟はTVを賑わす一部の弁護士のみがやっているというイメージで、ほとんどの弁護士は憲法訴訟をやりません。
理由は様々だと思いますが、①そもそも勝てる確率が低い、②主張立証の準備も普通の事件に比べてかなり大変、③勝ったとしても高額な報酬が得られるわけでもない、などが考えられるところです。
本メルマガを機に、少しでも憲法に興味を持っていただけましたら幸いです。
以上