第105回 「善意の第三者」という考え方
弁護士の内田です。
法律の世界ではある論点についてA説、B説・・・と複数の説があり、実務では裁判所(最高裁判例)が何説を採っているかが重視されます。最高裁判例がなく、各地方裁判所で説が分かれているという場合は、弁護士は依頼者に有利な方の説を採用して主張を展開します。
学生の頃は、「私はA説が正しいと思う。なぜなら・・・」とよく議論したものですが、実務家になると議論の余地はなく、依頼者に有利な説一択です。
これはこれで簡単でよいのですが、経営はこうはいきません。経営の世界においても、たとえば、マニュアルは誰でも再現できるように詳細に作るべきというA説、根幹的部分だけ記載すれば足りるというB説、のように論者(経営者やコンサルタント)によって説が分かれます。そして、上記法律実務家のように立場によって半自動的に説が選択されるわけでもありません。
ここが難しいところで、自社に合わない説を採用して突っ走ると、痛い目に合うことになります。
経営者はときとしてこうした難しい判断を迫られるわけですが、そういうときでも大切だと思うのは原理原則です。100冊の経営に関する本を読んでどの本にも共通して「これが大事だよ。」と書いてあるものは「原理原則」だと言ってよいでしょう。そういった原理原則から自社を取り巻く状況を俯瞰してみると、おのずとその時々で採るべき正しい説に至るのではないかと思います。
さて、本日のテーマは「善意の第三者という考え方」です。冒頭の話とちょっとだけ関係します。
法律の世界でも(こそ)原理原則の考え方は大切です。原理原則をしっかりと理解していれば、未知の事案(裁判例のないような事案や適用法令不明の事案)にぶつかったときでも、「おそらく裁判所はこういう判断を下すだろう。」という予測をすることができます。インターネットで断片的に知識を集めた者と体系的に法律を学んだプロとの違いとも言えます。
法律の原理原則には様々なものがありますが、今回照会する原理原則は「善意の第三者は保護しよう。」です。
非常にわかりやすい民法の条文を引用しておきます。「善意」とは、良かれと思って、という意味ではなく、「事情を知らない。」という意味です。
(詐欺又は強迫)
第九十六条 詐欺又は強迫による意思表示は、取り消すことができる。
2 略
3 前二項の規定による詐欺による意思表示の取消しは、善意でかつ過失がない第三者に対抗することができない。
専門用語抜きで言い直せば、第1項は「騙されたり、強迫されてした契約は取り消すことができるよ。」、第3項は「でも、騙されたことを知らない第三者には取り消したとは主張できないよ。」と書いてあります。たとえば、AさんがBさんを騙してBさんからX時計を時価の1%で買い取ったとします。この場合、Bさんは「詐欺だ!」と主張して売買契約を取り消してAさんからX時計を返してもらうことができます。ここまでが第1項です。
ですが、BさんがAさんから時計を取り戻す前に、詐欺のことなど知らないCさんがAさんからX時計を購入していたとすると、もはやBさんはCさんに対して「Aとの契約は取り消したからそのX時計は私のだ。返してくれ。」とは言えません。これを定めたのが第3項です。
第3項に似た規定は民法のみならずあらゆる法律で見られます。つまり、「当事者間で何があろうが、事情を知らない第三者が出てきたら、その第三者を保護しよう。」というのが法律の原理原則なのです(勿論、例外はありますが・・・)。
本当に賢い悪い人たちは、巧みにこの善意の第三者を悪徳スキームに組み組んだりします。「自分は被害者だ。」といえば常に救済されるわけではないので注意が必要です。
さて、ここで勘の鋭い方は気付かれたかもしれませんが、第3項は「詐欺による」としか書いておらず、第1項にある「強迫」を除いています。つまり、Aさんが強迫してBさんから時計を買い取っていたのであれば、BさんはAさんとの契約を取り消した上でCさんに「そのX時計は私の物だから返せ!」と主張できるのです(厳密には時計のような「動産」については即時取得という制度があり、Cさんの方が保護されることがありますが、ここでは同制度の解説は割愛します。)。
面白いことに、法律は、騙された人の保護は善意の第三者保護に劣後するが、強迫された人の保護は善意の第三者保護に優先すると考えているようです。言われてみると、騙された人には落ち度があることが多いですね。
こういった原理原則を分かっていると、当事者間では「被害者が可哀想だな。」と思う先例のない事案でも、善意の第三者が現れている場合には訴訟で勝つのは難しいと予想がつきます。なので、何とかのその「善意の第三者」に過失(落ち度)があった(≒救済の必要性は被害者に比べて低い)といえないかを検討することになります。
いかがだったでしょうか。
法律論はともかくとして、近年、この「第三者」の視点を欠く人たち増えてきているように思います。自分と相手の二者間でしか物事を考えず、そこに関わる第三者の利害が見えていないということです。
最近、詐欺(しかも巧妙とも言えないような)で騙されて周囲の人たちに迷惑をかける人たちが非常に増えています。TVを賑わせているトクリュウも似たようなものでしょう。
個人的には、法律、金融、心理、政治など社会に出て必要となる知識はある程度、義務教育の段階でやっておくべきだと思うのですが、なぜか公教育ではあんまりやらないですね。
将来的には、実務家として、そういった教育分野にも力を使いたいものです。
以上