第112回 法律実務の数理と感情

弁護士の内田です。

 「今更?」と思われるかもしれませんが、最近、生成AIにはまっています。
 グーグルなどで検索するよりもはるかに早く詳細な調査が可能で、全社的に取り入りいれていけば労働時間の大幅な短縮に繋がるのではないかと思っています。

 

 AIは契約書のレビューなんかもできるわけですが、精度の方はまだイマイチな感じでした(少なくとも私が利用しているAIでは)。「最新の法令と合致していない部分を教えて。」というように機械的に判断できる事項については正確なのですが、「法律の任意規定と比較して不利となっている条項及び修正案を書いてみて。」というようにそれなりに前提知識と思考が必要な問いに対しては、あまり正確に回答できていません。

 それでも、正確に回答を作成できる部分においてかなり労働力を短縮してくれているので、トータルでみると優秀なツールといえます。

 

 生成AIの便利さに慣れると、法務に限らず、私生活においても反射的にAIに聞くようになります。そうした中で、自分の子供たち世代は、それが当たり前に、自分で調べて、考える、という能力が培われなくなるのではないかと少し不安になりました。


 健全な批判能力や論理力があって初めて良い成果を導くツールだと思いますので、これからの学校教育ではそれらの能力を身に着ける教育をしっかりとやって欲しいと思います。


さて、今回のテーマは、「法律実務の数理と感情」です。

 

一般民事訴訟は実質5~6割が和解で終わっていますし、司法統計には出ませんが訴訟前の交渉で終わっているケースも数多くあります。私個人の経験でいえば、訴訟前の交渉で終わるケースがほとんどで、訴訟に至るのは2~3割くらいという感じです(取り扱い事件分野などによっても異なりますが・・・)。


弁護士が「訴訟前和解すべきか、若しくは訴訟になった後に和解するか判決に進むべきか」を判断する際、意識するか無意識にするかはともかくとして、和解と(訴訟)判決のコストとリスクを比較衡量しています。

 

AがBに対して1回数万円を複数回貸して合計100万円を貸したという事案で例を挙げます。借用書など貸付を証明する直接的な証拠はなく、交渉により双方が開示した間接的な証拠を踏まえると、①訴訟提起した場合、弁護士費用など訴訟コストが30万円ほどかかる。②判決では、20%の確率で敗訴し、その場合の得られる金額は0円になる。他方、③80%の確率で勝訴する。しかし、証拠が足りない部分があるので勝訴しても90万円しか認められないと予想される、とします。
一方で、④Bの弁護士は和解を提案してきており、50万円を一括して支払うと述べている、とします。

 

このような場合、訴訟の期待値を以下のように求めます。
0円×30% + 90万円×80% - 30万円 = 42万円
この数値と④のBの和解案(50万円)を比べると、和解の方が数値としてはAにとって良いので、Aは和解に応じるべきということになります(実務的には、Aの方から「70万円なら」などと増額再提案することが多いでしょうが、ここでは話を単純化するためにそういったことはないとします。)。


 
 さて、ここまでが数理の話で、もしAが古典経済学における合理的経済人だとすれば和解を選択することになるでしょう。
 ですが、実務においては、誰しも合理的経済人として行動することはできるわけではなく、むしろ感情によって物事の判断を行います。たとえば、先ほどの例でもAは「あんなに世話をしてやったのに、Bが借りていないなんて言うのは許せない。敗訴になってもいいから訴訟を選択したい。」などと言って訴訟を選択するわけです。

 

 大切なことは、このAのような感情を優先した判断が悪いということではないということです。むしろ、司法には、こういった感情の受け皿としての役目があると思っています。ですから、弁護士は(だけでなく裁判官もだと思いますが)、顧客の感情にも十分配慮しなければなりません。数字の話だけをして、「後はあなたが決めてください。」では不十分です。それでは、本当の意味での紛争解決にはなりません。
 一方で、リスクもコストもはっきりさせないままに感情に任せて突っ走るというのもプロとしていただけません。数理と感情は紛争解決において両輪になるのです。

 

 ところで、先ほどの例で、Aが訴訟を選択し、結果としては80%の方になって勝訴した場合(90万円-30万円=60万円を得た場合)、和解するよりも良かったということになります。ですが、これはあくまで結果論であって、訴訟提起前の時点では和解に応じることの方が合理的であったことに変わりはありません。


 歴史的問題でもそうですが、過去の一定時点での人の判断が正しかったかどうかを議論するとき、その一定時点よりも後で発生した、その一定時点では予想もできなかった事実を考慮に入れるのは、少なくとも法律的には誤りです。

 


 いかがだったでしょうか。

 生成AIといえば、よく「AI裁判官」が議論されます。要するに「AIに判決書を書かせれば?」というわけです。
 個人的には、AI裁判官が生まれることは当面はないのかなと思います。上述したとおり、人には感情があるからです。数理の方はAIで出来ても、感情にも配慮した解決を志向するというのはAIには難しいでしょう。

 

 もっとも、最近では人の感情を学習するAIなんかも出てきているようです。
 AIの発展が人類にどのような未来をもたらすのか。楽しみにしています。

以上

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